インタビュー取材にご協力いただいた方
永沢 裕美子(ながさわ ゆみこ)氏 フォスター・フォーラム 良質な金融商品を育てる会 世話人
1984年東京大学教育学部を卒業後、日興證券に入社。アナリスト業務や資産運用業務に従事した後、投資信託部にて商品企画や制度調査を担当。その後Citibank に移り、Consumer Investments(個人投資部)の立ち上げ等を担当。2001年に退職し、投資信託制度の研究生活に入るとともに当会を立ち上げ、活動してきた。
現在、金融庁参事・金融行政モニター委員(2016〜)を務めている。金融審議会委員を2009年から10年間務め、現在は専門委員としてワーキング・グループに参加している。金融経済教育の分野では2013年から金融経済教育推進会議委員(金融広報中央委員会から金融経済教育推進機構に移管)を務めている。金融分野の消費者トラブルの解決に国民生活センター紛争解決委員会特別委員(2010年〜2019年)として関与した経験から、国民生活センター等で消費生活相談員向けの研修講座等を担当している。消費生活アドバイザー(第27期)として公益社団法人 日本消費生活アドバイザー・コンサルタント・相談員協会( NACS)でも活動しており、2018年から2024年まで代表理事・副会長を務め、現在は理事。著書として『生涯学習の基礎』(鈴木真理他との共著、学文社、2011年)の他、『くらしの豆知識』(国民生活センター)はじめ新聞・雑誌で金融商品に関する記事等を執筆している。その他、2021年よりお茶の水女子大学大学院非常勤講師(金融教育論等を担当)、地方銀行グループ等の上場企業の社外取締役も務めている。
2006年にお茶の水女子大学大学院博士課程前期(生活経済学専攻)を修了後、早稲田大学法科大学院(ロースクール)にて学び2012年に修了(法務博士)。
今回のインタビューでは、「フォスター・フォーラム 良質な金融商品を育てる会」の世話人を務める永沢裕美子先生にお話を伺いました。このグループは20年にわたり、投資信託を中心として日本の金融商品の問題点を提起し、改善を求めてきました。永沢先生は、日本の投資信託制度の特異性に対する問題意識から、個人投資家にとって信頼性の高い金融商品を提供するための活動に取り組んでいます。
―― 永沢先生が世話人を務める市民グループ「フォスター・フォーラム 良質な金融商品を育てる会」は元々、2004年に永沢先生ら有志4人で発足されたのが始まりだったのですね。
永沢先生:はい。それ以前の約20年間は、日興証券に勤めました。女性総合職の1期生として入社し、女性アナリスト第1号となって、色々な経験をさせていただきました。それから40年の間にバブル崩壊もあり、「フリー・フェア・グローバル」を掲げた日本版金融ビッグバンをはじめとする一連の規制改革もあり、金融商品を取り巻く環境も随分変わったなと思います。
特に投資信託に関しては大きな浮き沈みがありました。大ブームを経て、「もうあんなものを買うな」と問題視された時期もありましたが、1990年代後半に改革の機運が起こりました。銀行窓販が始まると再び盛り上がり、その中でやはりさまざまな問題も起きて、私たちがフォスター・フォーラムを立ち上げたのはそんな時期でした。
―― 具体的にはどのような問題意識があって、フォスター・フォーラムを設立されたのですか。
永沢先生:日本の金融システムについては2000年頃、銀行などを介するそれまでの間接金融から、投資家が直接出資する直接金融へと変革しなければならないという議論が経済学者や法学者の間で高まりました。そこで家計の資産形成にとって中核になると考えられたのが投資信託です。しかし、日本の投資信託は、他の先進国とは違う特異な生い立ちを背負っていて、制度そのものの変革が必要でした。
ここで少し、投資信託の歴史をお話しますと、イギリスで1860年代に生まれ、その後、アメリカで大きく発展します。 もともと、「投資」は貴族の特権でしたが、産業革命で育った中産階級が、貴族が行なっていた植民地への投資に参加するための仕組みとして考案されたのが、世界で最初の「投資信託」だったのです。複数人が出資をしてファンドを作り、投資顧問に資産運用を委託する「投資信託」という仕組みは、その後アメリカに渡って大きく成長を遂げることになりました。
「投資」はそもそも、その日暮らしでなく、蓄えができた人に可能なものであり、人類の豊かさの発展と相関します。蓄えのある人が増える中で、資本主義の国アメリカで投資信託を使って投資をする層が広がりましたが、その発展の陰で、投資詐欺や杜撰な管理による被害が発生し、世界恐慌の後、米国において投資者を保護するための法制度が作られていったのです。
―― 投資信託は経済成長を背景に英米で広がり、日本はそれに倣ったのでしょうか。
永沢先生:日本の投資信託は英米に倣ったものですが、その生成過程に英米とは少し違った事情がありました。日本では、1951年に議員立法によって投資信託法が作られたことで、投資信託制度がスタートしました。議員立法された背景には、敗戦後、GHQが行った「財閥解体」があります。解体により大量の株式が市場に放出されると、株式市場が大暴落してしまう。その事態を避けるために、農村などに眠るお金を引き出して放出される株式の受け皿にしようとつくられたのが投資信託法でした。
ですから、英米のように投資をしたい人々が集まり、また、投資顧問と呼ばれる投資のプロがしっかりと育っている環境の中で投資信託という仕組みが自然発生的に誕生し、投資家保護の観点から制度整備が進められていったというよりも、いわば国策で整備されたという生い立ちが、日本の投資信託制度を欧米の制度と比べて特異なものにしてしまったと言えます。
その違いですが、米国をはじめとする海外では会社型という法形式が主流なのですが、日本では、2000年に投資信託法が改正されるまでは契約型と呼ばれる法形式のみとされました。実は、敗戦後の経済の民主化の流れの中で、GHQは会社型を導入しようとしたのですが、GHQが去った後、契約型に変更になったという記録が残されています。なぜ、会社型ではなく契約型だったのか? その点については、会社型の場合、株主に相当する受益者が議決権を行使できる仕組みであり、最高意思決定機関として置かれる受益者総会が重要事項を決定する、つまり「受益者による自治」が大前提となっているわけです。
しかし、日本の契約型の場合は、戦後から2000年頃まではそのような機関が置かれることはなく、投資信託の運営上重要な事項は大蔵省に相談して決めるという、いわゆる承認制という方法がとられていたんですね。私見となりますが、経済復興のために政府が資金の流れをコントロールしたいという思惑もあり、会社型よりも契約型が都合がよかったのではないでしょうか。
また、投資信託ビジネスを証券会社に独占させたという点も日本の制度の特異性でした。投資信託は、投信会社と呼ばれる資産運用会社が、投資信託の受益証券を発行してお金を集めてファンドを作り、そのお金を運用し、その成果を、受益証券を購入した投資家に帰属させるという仕組みです。欧米では、投信会社が受益証券を投資家に直接販売する「直販」を中心に発展してきましたが、日本では戦後から長期にわたって、投信会社となれる資産運用会社を証券会社の子会社に限定し、受益証券の販売を証券会社のみに許すという制度になっていたのです。その結果、投資信託は長期保有を前提とする金融商品であるにもかかわらず、投資信託が少し値上がりすると、証券会社が顧客にその投資信託を売って次を買うように勧めて販売手数料を稼ぐということが起きてしまい、日本では投資信託が育たなかった。
加えて、昔のことになりますが、証券会社が株価を上げるために投資信託が使われた時代があったのです。最初は大口のお客様に株価が安いうちに仕込んでもらい、次に個人のお客様に買わせて、どんどん上がる株価の買い手がなくなると、最後を引き受けていたのが投資信託だったのです。今からすると信じられないような忠実義務違反ともいえる行為ですが、1980年代まではこうしたことが行われ、それに気づいた個人投資家の信頼を失っていくということになったのです。
もちろん、このようなことは今では行われていません。2000年以降、投資信託を国民の資産形成の柱に据えようということで、さまざまな改革が行われています。
また、投資信託の組成や運用を担う投信会社についても、1990年代に英米からの外圧によって参入規制の緩和が行われ、今では、証券会社の系列以外に、外資系や銀行系、保険会社の子会社のほか、独立系の投信会社もあります。もっとも、欧米では、そもそも、金融機関の系列以外の独立した投信会社がしっかりと育ってきましたが、日本ではそのような投信会社が育つ環境にありませんでした。岸田政権のもとで資産運用立国ということが言われるようになりましたが、半世紀前にそのような施策が打たれていたらと残念に思います。
―― 米国では戦前に投資家保護の法整備が行われていたのに、日本では全く真逆のことが長く行われていたとは、驚きです。
永沢先生:2000年代に入ってからはさすがに、投資信託への信頼を取り戻すため受託者責任に関する議論や改革が行われましたが、理解されるまでには相当に時間がかかりました。「投資してくださるお客様の信頼に応え、その利益を第一に考える」というフィデューシャリー・デューティ(受託者責任)は、英米の資産運用会社では法律以前の前提として根付いているのですが、私たちが2004年にフォスター・フォーラムを立ち上げた時でも、まだ日本の投資会社の方にはピンとこなかったようでした。当時の投信会社や販売金融機関からは、お客様のために考えて商品を作っているのだから複雑になるのは仕方がないし、複雑だから説明するのに時間かかり、手数料がかかるのは当然、という言い訳が聞かれたものでした。
2000年代に入ると、小泉政権が「貯蓄から投資へ」というスローガンを掲げ、随分と旗を振りましたが、個人投資家はほとんど動きませんでした。動いても、証券会社が回転売買させるから積み上がることがない。それでは資産運用ビジネスは成り立ちませんから、1990年代に外国の資産運用会社がどんどん日本に進出していたのですが、海外の運用会社の中には、日本ではビジネスはできないと判断してしまうところも出てしまったのです。投資家も銀行、証券会社に手数料を稼がせるだけじゃないかと馬鹿らしくなって、結局、うまくいきませんでした。
山が動き出したと感じたのは2008年のリーマン・ショック以降です。多くの投資家が痛みを被る中で、手数料稼ぎが疑われる販売実態や問題のある商品性も明らかになり、投資家へのコストの明示や、分かりやすい目論見書作成に向けた制度改革が進みました。
―― 現在では「長期・積立・分散」が投資の王道とされ、長い目で少しずつ積み上げる投資信託は、投資初心者でも取り組みやすい金融商品というイメージがあります。かつての投資信託とは隔世の感がありますね。
永沢先生:そうですね、投資というと株式と思いがちですが、株式の場合はある程度まとまった資金が必要ですし、何よりも、何をいくらで買ったらいいかが難しいという問題がありますから、ハードルは高いですよね。ところで、小泉政権以来、政府は「貯蓄から投資へ」とスローガンを掲げて国民を動かそうとしてきましたが、バブル崩壊で投資の失敗経験しかない人が多いこともあって、大きく動くことはありませんでした。思うに、国民も、その政策は金融システムとか経済のためであって、真に自分たちのことを考えたものであると感じ取ることができなかった、ということもあったと思います。
しかし、では、全く投資と無縁でいいのか。投資をするかしないかは個人の判断、まさに自己責任の領域ですが、デフレ経済の時代から、インフレが心配される時代へと経済環境が変わりつつある中で、全く投資をせずに預金だけでというのは、正直、大きなリスクになると思います。人生100年時代と言われるように、老後、年金等で生活する時間が想定以上に長くなる中で、政府としては、国民には、老後に自分でも備えてもらう必要があり、その時に、投資も含む資産形成をと考えるようになったのが2010年頃からだったと思います。
それでは、国民の預金に偏った金融行動をどう変えさせたらいいのか。金融庁も相当考えたんでしょう。まず、スローガンを、国民に対しては「貯蓄から投資へ」ではなく「貯蓄から資産形成へ」に変更しました。そして、投資はどこのタイミングで何を買うかがリスクとリターンに大きく影響を与えることから、その面倒さを軽減する方法として「長期・積立・分散」を提唱し、「長期・積立・分散」投資を後押しする税制として「つみたてNISA」を導入するとともに、投資信託の制度改革を進め、国民が資産形成に向き合えるような環境づくりを進めてきた。その点、金融庁の施策は非常に成功したと思います。
そして、こうした施策を金融庁が推し進めようとした時に、一番のネックになったのが販売金融機関の販売姿勢でした。顧客に手数料の高い複雑な金融商品を販売する金融機関の経営姿勢に警鐘を鳴らし、2017年、「顧客本位の業務運営に関する原則」を公表し、この原則を採択するか、採択しない場合にはその理由を世間に示せと金融機関に迫ったのです。この原則は、もともとは英米の資産運用の世界で長い時間をかけて育まれてきた、顧客の利益を最優先に考えるフィデューシャリー・デューティ(受託者責任)という概念です。
この原則の中には、私たちが2004年にフォスター・フォーラムを設立した時から提唱し続けてきた、私たちが求める「良質な金融商品」の4つの条件、
①シンプルで分かりやすいこと
②コスト(手数料等)が適正で、明確に開示されていること
③組成・販売において、事業者が適合性の原則に合致する提供を行っていること
④商品やサービスの供給者としての責任を事業者が全うしていること
が、全て含まれていました。ようやくという思いでした。
―― 設立以来の願いがようやく叶えられたのですね。
永沢先生:岸田政権が掲げた「資産運用立国」の理念は、あまりに遅いと感じましたが、遅くともやり遂げなければなりません。良い金融商品に良い資金が集まってこそ、良い株式会社が育つというのが経済の基本です。そしてそれは、一般消費者による賢明な選択が行われてこそ実現するものであり、重要になるのが金融経済教育です。
ようやく整備された環境を国民が理解し賢く活用し、自分事として資産形成に取り組んでもらうために、国と日本銀行、全国銀行協会、日本証券業協会が共同出資をして金融経済教育推進機構(J-FLEC)が設立され、動き始めたのです。
―― ここまで投資信託を巡る歴史を教えていただきましたが、金融経済教育についてはどんな経緯をたどったのでしょうか。
永沢先生:日本の金融教育は2001年に金融広報中央委員会が設置され、事務局が日本銀行に置かれて、金融業界団体が協力するという体制で進められてきましたが、今回、金融広報中央委員会が廃止され、その業務がJ-FLECに引き継がれることになりました。
もちろん学校教育は大事だけれども、市場に参加している当事者は現役の社会人ですから、その人たちの投資行動や金融行動が日本の金融市場を変革し、日本経済の成長を支えると期待されていると言えます。「今」が正念場ということです。
金融資産を持つ高齢者に対する金融教育は、何を買うかではなく、貯蓄や投資によって形成してきた金融資産をどう現金化・取り崩していくかという観点にもっと力点を置いていくべきと私は考えています。世代や人によって、望ましい金融行動は違うのですから、それに合致した教育の提供が必要です。
現役社会人に対する教育は企業単位、職域が基本になりますが、働き方も多様化しています。企業年金のないフリーランスや中小企業の人ほど、教育を受ける機会の保障の必要性が高いと言えます。そういった方々に対応できるような教育環境の整備に積極的に取り組むことが、J-FLECには期待されていると思っています。
―― 学校では金融経済教育が行われていますが、課題はありますか。
永沢先生:私が今、懸念を強めているのは過剰債務問題の再燃です。最近、若者の間でBNLPという後払い決済サービスの利用が盛んに行われています。BNPLはBuy Now Pay Laterの略語で、欧米ではクレジットカードを持てない低所得層が利用して、返済に行き詰まるという問題が起きていますが、日本では低所得者層というよりも、クレジットカードを持てない若い世代が使っています。最近増えている化粧品などのサブスクリプションの決済にも使われていますね。BNPLはクレジットカードのような審査がないため、どんどん買い物をしてしまい、返済問題が具体化した時には手遅れという状況が起きてしまいます。
日本では2000年代に多重債務問題が社会問題化したことがありました。消費者金融からお金を借りすぎてしまい、返済に行き詰まった人が路上生活者になったり自殺をしてしまったりという問題が起きたのです。そこで、貸金業法の改正による総量規制が導入され、一応落ち着きを見せていますが、BNPLはこの貸金業法の規制を受けない領域なので、若い世代がBNPLの利用しすぎで同様の状況に追い込まれないか、心配されているのです。
もっと怖いのが、SNSなどを通じた個人間取引です。貸金業法では、人にお金を貸すことを業として行う場合は、個人であっても金融庁や財務局に登録しなくてはならないことになっており、登録をしないでお金を貸す人のことをヤミ金融と呼んでいます。反社会勢力が関係しているとも言われており、決して関わってはいけません。最近、闇バイト事件が多発していますが、個人間金融を利用してしまい、個人情報を握られてしまったことがきっかけだったということが起きているのです。
また、SNS上の儲け話や投資セミナーに参加してしまい、投資詐欺にあってしまったという話も枚挙のいとまもないほど起きています。SNS上でのお金の相談は絶対にしないでください。こうした詐欺被害を防止する意味でも、J-FLECのような信頼できる相談機関が認知されることは重要ですし、教育の内容に「転ばないための金融教育」も充実させていく必要があります。家計管理や生活設計能力の醸成も必要でしょう。
J-FLECには、政府が国策として進めている「投資へ」という方向にばかり傾くことがないよう、さまざまなリスクも忘れずに、投資以外の要素もしっかりと教えていっていただきたいと思います。
―― フォスター・フォーラムとしては今後、どのように活動していくのですか。
永沢先生:設立から20年を経て、一定の役割を果たせたと思っており、これからは次のステップとして、株式投資を通じて良質な株式会社を育てていく活動を拡充していきたいと考えています。
経済の基本は株式会社です。その適切なガバナンスや良質な商品・サービスを育てていくためにも、個人株主の行動や関与が重要になります。具体的には、個人株主の目線から良質な株式会社の要件を掲げることの他、議決権行使の意義や、具体的にどう議決権を行使するのかといった啓発を行っていくことを考えています。
政府の金融審議会や金融経済教育に関する委員なども長年務めさせていただきましたが、それらは後進に引き継ぎつつ、今後10年ほどは、こうした課題に向けて活動できたらと思っています。
永沢 裕美子さまのご紹介リンク:
ー Foster Forum |世話人:永沢 裕美子(ながさわ ゆみこ)