私たちは普段何気なく日本円を使っていますが、実は円の価値はここ30年間だけでも驚くほど変動しており、将来もさらなる変動が予想されます。
「円の価値を決める要因は何なのか?」を把握していれば、経済ニュースが分かりやすくなり、投資や資産運用もスムーズに始められます。
今回は、終戦直後から朝鮮特需、バブル期、リーマンショック、アベノミクスと、ドルを中心とした円相場の歴史をご紹介します。
ドル円相場の歴史を学ぶことで、今後の日本経済を正しく見定める力を身につけましょう。
戦後の円の価値
第二次世界大戦が終わった1945年、円は軍用交換相場として「1ドル=15円」に設定されました。当時、大卒勤労者の初任給は400円だったので、1円の価値は現在の1/400程度だったといえます。
その後、戦後の日本は、1947年に「1ドル=50円」、1948年に「1ドル=270円」と、ハイパーインフレを経験します。
インフレ:モノの価値がお金の価値よりも上がること。
デフレ:お金の価値がモノの価値よりも上がること。
ハイパーインフレの原因には、物資や食糧が不足していたこと、国民がたくさんタンス預金していたこと、日本銀行がたくさんお金を刷ってしまったこと、などが挙げられます。その結果、物価のコントロールができなくなり、円の価値は下がっていったのです。
1949年、日本は、アメリカのドルを基準にお金の価値を決める「ブレトンウッズ体制」に入ります。この体制で「1ドル=360円」という史上最安値のレートに固定され、円の固定相場制が始まりました。
ちなみに、このシステムのせいで、世界各国では「ドルだけが価値のあるもの」とみなされ、他の国のお金はあまり大切にされなくなりました。その結果、ドルはどんどんと外国に流出していき、アメリカ国内の経済が悪くなる一因となりました。
固定相場制から変動相場制へ
1971年8月、当時のアメリカ大統領ニクソンは、ドルと金の交換停止や変動相場制への移行を唱える「ニクソンショック」を発表します。このサプライズニュースは世界中に衝撃と困惑を与え、日本を含めた各国は変動相場へ舵を切ることに猛反発しました。
同年12月、主要国が集まる会議が開かれると、固定相場制は続けてドルの価値を切り下げることで話がまとまり、円は「1ドル=308円」で固定される「スミソニアン体制」が始まります。
しかし、失われたドルへの信頼が戻らない中、日本はドル高に耐えられず1973年2月に変動相場制へ移行すると、他の国も次々に変動相場へ移り始めました。こうしてスミソニアン体制はわずか1年ほどで崩壊し、世界の経済は変動相場の時代へ突入します。
変動相場制になっても世界中でドルを売る動きは止まらず、円は一気に「1ドル=260円」まで高騰しました。
その後、1973年に原油価格が4倍にも上昇するオイルショックが起こると、世界中で安全性の高いドルを買う動きが強まり、円は「1ドル=300円」をマークしましたが、騒ぎが落ち着くにつれて再び円の価値は高まっていきました。
1977年には初めて「1ドル=200円」を下回りましたが、オイルショックの再発やアメリカのドル買い介入などでドル高になる動きも多く、それ以降は1985年までの間、円の価値は「1ドル=200~275円」の間で幅広く変動しました。
プラザ合意とバブル経済崩壊
1985年9月、先進5ヶ国(G5)の財務大臣の間で通貨の価値について話し合う「プラザ合意」が終わると、円の価値は急上昇します。
当時、ドル高で大幅な貿易赤字を抱えていたアメリカにとって、円安で輸出に有利だった日本との関係は特に大きな問題でした。協議の結果、各国は協力しながら為替操作に介入することでアメリカの経済を安定させようと考えます。
プラザ合意の発表翌日、ニュースを知った企業や個人の間でドル売り円買いの動きが広がると、ドル円は1日で20円もの下落を記録します。歴史的な円高は簡単に止まらず、1987年には「1ドル=120円台」にまで円の価値は上昇しました。
行き過ぎた円高で不況になるのを恐れた日本政府は、当時としては異例の超低金利策で金融緩和を試みます。
金融緩和:低金利でお金を借りやすくすること。お金の量が増えて通貨の価値が下がる。
金融引き締め:高金利でお金を借りづらくすること。お金の量が減って通貨の価値が上がる。
しかし、お金を借りやすくなって手元のお金が増えた企業や資産家は、借り入れたお金を商売ではなく土地や株式の購入に使いました。
土地価格や株価が一気に上昇すると儲かった人々は次々にお金を消費するようになり、好景気のバブル状態が完成します。
しかし、この行き過ぎた状況を好ましく思わない日本政府は、強引な土地売買や急激な株価上昇を抑えるために利上げや融資規制に乗り出しました。
すると、一転して地価や株価が急落してしまい、資産を売っても借りたお金を返せない人が増えていきます。これに困った銀行は、不良債券を抱えるのを避けるために融資を渋るようになりました。
結果、資金繰りができずに倒産する企業や借金を抱える人が増えて消費も低迷し、バブルは一気にはじけ飛びます。その後、日本は長らく不景気が循環するデフレスパイラルの時代へと突入しました。
ただ、日本の経済が右肩下がりだったものの、世界的にはアメリカの信用も回復しておらず、これまでと変わらずに円高の流れは止まらなくなります。
日本が輸出事業に強かったことや海外の投資家が円の購入を集中させたことがきっかけとなり、相場は最高で「1ドル=79円」まで上がりました。
リーマンショックの余波
バブルの崩壊後、「1ドル=100~150円」の相場が10年以上続いた時に、世界中を巻き込んだ大事件が起きました。アメリカの大手金融機関リーマンブラザーズが破綻する「リーマンショック」です。
100年に1度の世界大恐慌と呼ばれるこの事件で、アメリカは再び世界からの信用を失い、世界中でドルを売る動きが加速すると、円の価値は反対に高まって「1ドル=100円」を下回りました。
また、アメリカだけでなく、イタリアやスペインなど複数のEU加盟国が巻き込まれて財政が苦しくなり、他の外貨が売られるにつれて、円相場は「1ドル=80~90円」になります。
その後、追い打ちをかけるように2011年には東日本大震災が発生し、保険金の支払いや商売のために預けていたドルやユーロなどの外貨を円に換金する会社が続々と出てきました。
アメリカが不況を抜け出すために金融緩和をしていたことも重なって、円は戦後最大の「1ドル=75円」の円高を記録します。
日本政府は円高の流れを変えようと「円売りドル買い」の為替介入を実施しますが、相場を大きく反転させることは難しく、ドル円は2桁台のまま不景気の時代が続きました。
アベノミクスと円安
2013年、当時の安部内閣はデフレを抜け出すために大胆な金融緩和策「アベノミクス」を発動します。
世間に出回るお金の量を増やして金利を引き下げるだけでなく、銀行が日銀に預けたお金の一部を徴収する「マイナス金利」という方法で景気を何とか回復させようとしたのです。
狙い通りに円の価値は下がって「1ドル=100円」を上回りますが、一方でアメリカを中心とした諸外国は既に景気の回復段階にあったので、徐々に金利を上げてインフレを抑えようとします。
「1ドル=100~120円」だったドル円は、日米の金利差が年々大きくなるにつれて円安ドル高が進み、2022年には「1ドル=130円」を突破しました。
景気回復のために低金利を止められない日本の円と金利を上げ続けるアメリカのドル、企業や投資家は当然のように金利が高いドルを選んで保有するようになります。
こうして円安ドル高の大きな波ができあがると、2023年に円相場は34年ぶりの「1ドル=150円」をマークしました。
現在も円安の波は続いており、2024年は「1ドル=160円」を記録しましたが、世間の声は「もっと円安になる」や「そろそろ円高に変わる」など様々です。
これからの相場を予想するのは誰でもできますが、実際にどうなるかは誰にも分かりません。
1つ確かなことは、歴史から学んだ知識を持っていれば、この先起こる大きなニュースの見方も広がって、自分なりの解釈で物事を捉えらる、ということです。
今回はドル円の歴史を大きなイベントに沿って紹介しましたが、細かく紐解いていけば沢山の情報を得られるので、この機会にぜひ詳しく学んでみてください。