インタビュー取材にご協力いただいた方
吉野 直行(よしの なおゆき)氏
Johns Hopkins Universityにて経済学博士、ニューヨーク州立大学助教授、埼玉大学大学院政策科学研究科(現:政策研究大学院大学)助教授、慶應義塾大学経済学部教授、外国為替審議会会長、金融審議会会長、アジア開発銀行研究所/所長、金融庁金融研究センター長などを歴任、現在は慶應義塾大学名誉教授、金融庁金融研究センター顧問、パラオ共和国/経済顧問(Economic Advisory Group Member)、東京都立大学/経済経営学部/特任教授、Stockholm School of Economics (EIJS), Advisory Board (Chair)。
受賞:Green Finance Lifetime Achievement Scientific Award, 2021 (Central European Green Finance Conference, Central Bank of Hungary, Planet Budapest Sustainable EXPO summit, December 2021)
途上国や過疎地のインフラ整備、民間の投資を呼び込むには「波及効果」を還元する仕組みづくりを
―― 吉野先生は国際的に活躍される金融財政政策の第一人者ですが、これからの日本の若い人に知っておいてほしいと思われる研究テーマを教えてください。
吉野先生:日本が国際社会で負けないための金融財政政策という観点から、若い人にも考えていただきたい3つのテーマについて、分かりやすくお話ししたいと思います。
まずは、アジアやラテンアメリカといった途上国のインフラから話を始めます。インドをはじめとするこれらの国々は、日本の高度経済成長期と同じように急速に成長していて、それに伴い、鉄道や道路、電気や水道といったインフラ整備が必要です。しかし、国のお金だけで造ろうとしても必要インフラ全部を建設できないため、民間による投資資金が重要になります。
なぜこれが日本に関係するのかと、疑問に思われるでしょうか。日本でも、特に地方では高齢化・過疎化が進んでいます。必要なインフラの維持補修費を、将来にわたって確保できるかという大きな問題があります。また、日本のお金をアジア等の発展途上国のインフラに投資して損失を被らないためにはどのようにすればよいか、という観点もあります。
そこで私は、2014年から2020年までアジア開発銀行研究所所長を務めていた時に、どうやったら民間の資金をインフラに向けられるかを考えました。
日本もかつて「第3セクター」という、国と民間が共同出資して行う公的なプロジェクトが多く見られました。しかしそれらは、必ずしもうまくいきませんでした。日本だけでなく、アジアや米国でも失敗事例が多かった。なぜかというと、3セク的なプロジェクトは基本的に、利用者から利用料をもらってインフラ事業を進めます。しかし、出資しようとする民間企業はある程度の収益が見込めなければ出資できません。民間企業にお金を貸す銀行も、預金者に支払う金利や社員への給与、システムの維持管理費などを確保しなければなりませんから、それらを維持できると見込めなければ融資しません。
他方、利用者はなるべく低料金で水道や鉄道を使いたいものです。対して、民間投資家はある程度の収益を確保しなければインフラ投資ができません。インフラ事業では、利用者(低い利用料金)と民間投資家(高いリターン)の間で相反するという矛盾が生じています。日本でも米国でも、3セクの多くの事業がうまくいかなかったのは、この矛盾を解消できなかったためです。
―― 公共サービスに民間資金を入れようとすると、どうしても、利益の問題が出てくるのですね。どうすればいいのでしょうか。
吉野先生:利用料をできるだけ抑えて、かつ、資金を投入する民間の銀行や投資家たちがある程度の収益(リターン)を確保できるためには、利用料以外からお金が入ってくる仕組みが必要です。
そこで私が考えたのが、「インフラの波及効果」です。たとえば、水道ができることによって、新しい工場やレストラン、アパートができ、その地域は大きく開発されます。そして水道によって、みんなの健康状態も向上しますから、そこに住み人々は仕事に行けて、生産性も上がり、雇用機会も増えます。
加えて、新しく事業を始めた中小企業やレストランの売り上げが上昇し、法人税や固定資産税が増加します。みんなが健康に働くことによる所得税も増えます。新しい鉄道ができれば、農作物を大都市まで新鮮な状態で運ぶことができるので、農家の売り上げが上昇し、農家の所得税も増えます。
このように、水道や鉄道ができれば、大きな経済波及効果がその地域にもたらされ、税収アップにつながります。
ところが通常、これらの税は結局、国に納められ、税収の増加に貢献したはずのインフラを造った人たちに戻されるシステムはありません。
そこで私は、これらのインフラができたことによって、インフラができなかった地域と比べてどれほどの税収の増加が実現したかを「Difference-in-difference Method」という分析方法で明らかにしました。
―― これによって、税収の増加に対するインフラ整備の貢献度を測ることができるのですね。
吉野先生:本来は、インフラによって増えた分の税収はすべて国に行くのではなく、インフラ整備に力を貸した民間企業にもその貢献分は還元されるべきであると考えます。そういう仕組みにすることで、インフラの利用料は低く抑えられていても、インフラの経済波及効果によって増えた税収の一部が、融資した銀行やインフラ運営会社に定期的に入ってくることになりますから、リターン(収益性)を確保できるのです。
日本の人口減少や高齢化が進んでいる地域にも道路や鉄道などのインフラを維持整備し、かつ、利用料金を低く抑え続けたいのなら、利用料収入ばかりでなく、そのインフラの経済波及効果によって周辺地域で増えた税収分を還元していく仕組みが必要になります。さもなければ、利用者が多い大都市でしか、インフラを維持できなくなってしまいます。
アルゼンチンでは、インフラを整備する初期段階で、インフラ建設企業にある程度の補助金を政府が支出します。それによって水道や道路ができるようにしているのです。
しかし、インフラ建設企業にだけ国の補助が出ると、お金をもらえない他の企業からは批判が起こります。私の研究発表を聞いたアルゼンチンの前財務大臣は次のように言っていました。「波及効果としての税が後からたくさん入ってくる。その一部をアップフロント(先払い)することは正当化できると」。私の研究は「ありがたい提案である」と、喜ばれました。
―― 波及効果による還元は、インフラに民間投資を呼び込むインセンティブになりそうですね。
ESG投資の「格付け」のバラつき、歪み是正のキーワードは「炭素税」
吉野先生:次は、環境問題です。融資や投資など金融をやろうとする時、リターンが高く、リスクが少ないところに投資をして安定的な収益を確保しようとする「リスクとリターン」の考え方が基本でした。しかしここ数年はそれだけでなく「Sustainable Development」、つまり持続可能な経済成長を促すためのSDGsやESG(Environment、Social、Governance)、あるいは環境問題に配慮した投資が推奨されるように変わってきました。
ただ、こういったESG投資やグリーン投資については現在、大きな問題があります。なぜなら、どの企業にどれくらい投資すべきなのかを判断する際に使われる「格付け」が、格付け機関ごとに評価指標が違うために、対象企業の評価点数がバラバラになってしまっているからです。
各格付け機関は、各企業のディスクロージャー誌(公開資料冊子)や、経営層へのヒアリングによって、その企業がどれくらい真剣にESGに取り組んでいるかを判断してスコアを付けています。ただし、格付け機関ごとにチェックしている項目が違いますから、どの格付け機関の評価を使うかによって、企業のESG点数が異なったものとなり、資金の流れ、投資配分に変化をもたらしてしまっています。こうした資金配分の歪みは、市場にとって好ましいものではありません。
―― 社会や環境にとって良い投資をしたくても、適正な判断をするための評価基準が定まっていないのですね。どうしたらいいのでしょうか。
吉野先生:私の提案は、温室効果ガスの原因の約80%を占めているCO2の排出量に応じた炭素税を課すことです。排出が多い企業はそれだけ税引きされ、リターンが小さくなります。格付け機関もCO2の排出量に従ってスコアを出せば、全ての格付け機関のスコアは同じになるはずです。投資家はこれまでのリスク・リターンに加え、炭素税の税引き後の財務状況や、排出量のスコアを見れば、税引き後のリターンと税引き後のリスクを見ることができるようになり、資金配分に歪みは起こらなくなります。
一番重要なのは、各企業のCO2の排出量をきちんと測ることです。今、CO2排出量を測定する機器はたくさんできており、各工場にこれを設置して数値を出し、スマートメーターによって電力会社に定期的にCO2排出値を伝達することを義務化すればいいと思います。炭素税による増収分で、中小企業に測定機器を配布してもいいでしょう。そうすれば、企業の規模に関わらず排出量が正確に算定され、環境問題の早期解決に役立つのではないかと思います。
―― 日本でも「地球温暖化対策のための税」が導入され、炭素税導入も議論されていますが、CO2排出量を正確に把握して課税する仕組みが整えば、ESG投資にとってもメリットになるのですね。
他国に遅れを取る金融資産の伸び。底上げに必須な金融経済教育
―― 最後に、吉野先生は国の「金融経済教育推進会議」の座長を務められたご経験もあります。日本の金融経済教育についてお考えをお聞かせください。
吉野先生:私がアジア開発銀行研究所の所長だった頃、パリのOECD本部に務めている教え子から、OECDが金融経済教育に力を入れることになり、アジアでも推進したいから協力してくれないかと相談がありました。
そこでOECDと一緒に、まずはタイで中学や高校の先生約300人を前に、金融経済教育がなぜ重要かという話をしました。タイの中央銀行やベトナム、インドネシアでも講演させていただきました。
なぜ、金融経済教育が重要なのでしょう。いくつか理由はありますが、見ていただきたいのは次の図です。
(出所:金融庁)
ここ20年間で、家計金融資産を比べると米国は約3.3倍に、英国は2.3倍伸びていますが、日本は1.5倍です。日本は際立って資産運用が下手なわけです。もしこれが全国民の平均で、年金運用でも同様だとしたら、老後の年金の水準も、米英と日本で全然違ってきます。日本人は、もちろん安全資産も大事ですが、株式や債券もある程度運用していく必要がある。そのためには学校教育の頃からきちんと金融経済教育をすることが大切です。
もう一つ問題は、先生自身が自分で資産運用した経験がない場合が多く、うまく教えられないということです。「直接金融」とは何か、「間接金融」とは何か、用語の説明になってしまい、現実感がありません。ただの難しい言葉の説明になってしまうと、子どもたちは何を教えられているか分からなくなって、金融経済教育を嫌いになってしまいかねません。
―― 確かに、資産運用では「自分で考える」ことが大事ですから、単なる知識の暗記になってしまっては効果がありませんね。どうしたらいいのでしょうか。
吉野先生:私には孫がいるのですが、学校で学んだ金融経済教育の内容がよく分からないと言ってノートを持って来ました。そのノートを見て、私の言葉で20分、説明してあげたところ、学校の試験で99点をとって、先生にびっくりされたそうです。要は、本当に分かっている人から20分教えられただけで、結果は大きく違ってくるということです。
たとえば株式投資なら、株式市場の浮き沈みを何十年も見てきたベテランが、最近、起こっていたような株の一時的な乱高下の見方や、投資の時間分散の考え方などを教えます。会社を退職したフィナンシャルプランナー等で、中立的な立場から本質的なことを教えられる人も活用すべきです。
30分の授業のうち20分は全国でも一番教えることが上手な先生、あるいはプロの専門家が、ビデオ講義(あるいはオンライン講義)で教えて、残り10分は現場の先生が質問に答えるといった構成がいいのではないかと思います。
私の妻が英語を教えた経験では、生徒は学校教育で、英語を最初に習う先生の指導の仕方によって、英語好きになるか嫌いになるか、分かれるといいます。英語でも金融経済教育でも、他の教科でも、もっとも教え方の上手な先生による、ビデオ(オンライン講義)方式を採用してみてはどうでしょうか。全国どこで学んでいても、一番いい先生に教えてもらうことが重要だと思います。これによって、現場の先生の負担も軽減し、理解しにく箇所に補足説明を加えることにより、地域の教育格差の是正にもつながると思います。
―― インフラ投資、炭素税、金融経済教育と、いずれも公共性の高い社会的な課題に対して、いかに民間の力を活用するかというお話を伺いました。逆に言うと先生がご提案されたような仕組みが導入されれば、まだまだ民間にもできることはあるという希望も抱きました。導入にはさまざまなハードルがあると思いますが、知って考え続けることが大事だと思います。本日はありがとうございました。
吉野 直行先生のご紹介リンク:
ー 慶應義塾研究者情報データベース
ー 東京都立大学 経済経営学部 特任教授
ー 金融研究センター長の任命について
ー パラオ共和国/経済顧問(Palau Economic Advisory Group Members)