「誘惑に勝つ・負ける」に関連した人の意思決定に関する仕組みとは? 神経経済学で脳のメカニズムを知る

一橋大学 ソーシャル・データサイエンス研究科・教授 鈴木 真介氏

インタビュー取材にご協力いただいた方

鈴木 真介(すずき しんすけ)氏 一橋大学 ソーシャル・データサイエンス研究科 教授

2008年3月、筑波大学大学院システム情報工学研究科 学位取得。理化学研究所 脳科学総合研究センター、北海道大学大学院 文学研究科、Division of the Humanities and Social Sciences, California Institute of Technology、東北大学 学際科学フロンティア研究所、The University of Melbourne, Centre for Brain, Mind and Marketsを経て、2023年1月より一橋大学 ソーシャル・データサイエンス研究科(旧ソーシャル・データサイエンス教育研究推進センター) 教授、博士(社会経済)。

「こうしよう」と決意しても、誘惑に負けてしまう人と負けない人がいます。誘惑に負けてしまう人達はなぜ、行動を止めることができないのか。そうした研究を行っているのが行動経済学に神経科学を取り入れた神経経済学です。

神経経済学とはどのようなものか、誘惑に勝てる人と負けてしまう人の脳のメカニズムの違いとは、人間の脳とAIの違いとは何か。そこで今回、神経経済学の研究に取り組まれてきた一橋大学の鈴木 真介先生にお話を伺いました。

神経経済学とは人間の意思決定に関する脳の情報処理について学ぶ学問

―― 神経経済学とはどのようなものでしょうか?

鈴木先生:経済学とは、広い意味で、私たちが日々行っている意思決定に関する学問です。人は、例えば、今持っているお金を「銀行預金に回す」「投資をしてみる」「宝くじに入れてみる」などについて意思決定を表します。また、お金の例に限らず、例えば、「今日のランチで何を食べようか?」といったことも意思決定です。神経経済学は、そこから1歩踏み込んで、「人間の意思決定の背後には、どういう脳の情報処理があるのか」を研究している学問です。

―― 神経経済学が出てきた背景について教えてください

鈴木先生:神経経済学が出てきた背景には「行動経済学の勃興」と「神経科学の技術進歩」といった2つの流れが関連しています。まずは行動経済学について。1970年代頃、行動経済学が勃興しましたが、2002年には、ダニエル・カーネマンとバーノン・ロマックス・スミスがノーベル経済学賞を受賞し、一気にメジャーな学問となりました。行動経済学は、人間の意思決定の背後にある心理メカニズムを知り、経済現象を理解するための学問です。そこから派生し、「脳のメカニズムまで知りたい」といった動機が出てきたものと思われます。

2つ目は神経科学における「fMRI法(機能的磁気共鳴画像法)」の開発です。fMRI法によって、生きた人間の脳活動を非侵襲的に簡単に測定できるようになりました。そこで、人の意思決定や経済活動に関する選択行動、その背後にある脳の情報処理メカニズムを解明したという欲求が神経科学の研究者達に出てきたのです。2つの潮流が融合する形で生まれてきたのが神経経済学です。

―― fMRIと病院にあるMRI装置の違いは何でしょうか?

鈴木先生:病院にあるMRI装置は主に「脳出血がここにある」「脳の萎縮が進んでいる」といった脳の形や構造を見るために使われることが多いです。一方、fMRI法は同じMRI装置を使うのですが、「どこの脳領域が活動している」といった脳の活動を測定できます。

合理的な人間像を基本としながら、人間の非合理的な部分を研究

―― 従来の経済学では人の意思決定には合理性があると考えられてきました。しかし、実際の人の行動は違います。こうした点において、神経経済学ではどのようなアプローチをしているのでしょうか?

鈴木先生:従来の経済学では、人はおおむね合理的だと考えられてきました。例えば、合理的ではない企業は、収益を得ることができず、市場から退出しなくてはなりません。ですから、成功している企業は、合理的な行動をするはずだと考えたわけです。人も同様に、進化の過程で生き残ってきました。つまり非合理的であれば、生き残ることができないから、人は合理的であるという説です。

―― 合理的である人間にも非合理的な部分があります

鈴木先生:神経経済学では多くの場合、得られる「効用や報酬」を最大化しようとする合理的な人間を想定し、それに対応する脳の活動を観察します。脳の計算や情報処理による合理的な意思決定について研究していますが、詳細に調べると、実は少し違う点があるんですね。さらに、ランダムに違うだけではなく、あるパターンや傾向があることが分かります。

行動経済学では、そうした非合理的な部分を「アノマリー(法則や理論から合理的な説明ができない現象)」と呼んでいます。神経経済学でも、人間の非合理的な点についても調べ、合理的な人間像との違いを見た上で、神経基盤や脳の情報処理・計算を研究します。つまり、合理的な人間像を基本としながら、そこから「実際の人間の行動はどのように違うのか」にも注目し、脳の活動や計算・情報処理を調べるといったアプローチです。

意思決定に関する脳のメカニズムを知ることができる

―― 神経経済学を知ることでのメリット、価値を教えてください

鈴木先生:異なったレベルにある「個人の意思決定や行動」と「社会現象」を関連づけ、統一的な説明を与えること、そこに経済学の面白さがあるんですね。脳はコンピュータのようなもので、さまざまな計算を積み重ね、いろいろな情報処理をしています。「複雑な投資に関する意思決定」など、「脳の情報処理に関するメカニズム」を発見できることに神経経済学の価値があると考えています。

―― 意思決定に関する脳のメカニズムを知ることで、社会政策や制度設計、医学にも貢献できます

鈴木先生:私は後述するギャンブル依存症が起きる場合の脳のメカニズムについて研究しています。競馬や競輪、競艇、パチンコといったギャンブルは毎日通ってずっとやっていると、平均的には負けてしまいます。ところが、ギャンブル依存症の人は、負けてもやめられなくなってしまうんですね。これは、経済的な意思決定の障害があると考えられます。脳のある領域の活動がその原因になっているのであれば、そこの活動を人為的に抑制するといったことも可能になるでしょうし、直接関係しなくても、心理メカニズムが分かれば、それをできるだけ抑えるような社会政策や制度設計も可能になっていくでしょう。ですから将来的には、経済学や医学にも役に立つのではないかと思っています。

誘惑に勝てる人と負けてしまう人は脳のメカニズムが違う

―― 人が誘惑に勝つ・負けるといった意思決定に関する脳の情報処理の仕組みについて教えてください

鈴木先生: AIに搭載されているアルゴリズムとして「強化学習」があります。「強化学習」の応用例として、テレビゲームを人間よりうまくプレイするAIや囲碁でプロの棋士に勝利したAlphaGoといったアルゴリズムがあります。「強化学習」の根本的な原理は、コンピュータが行動した結果、高い報酬がもらえればその行動を繰り返すという仕組みです。継続的に学習し、「報酬」がもらえなければ、その行動をやめるアルゴリズムなんですね。実際の人間や動物の行動もそのようなアルゴリズムで、ある程度説明できることは分かっています。

―― 先生はギャンブル依存症についても研究されています

鈴木先生:ギャンブル依存症の人は、経済的な意思決定がうまくできないわけです。例えば、普通の人はギャンブルに行って、たまたま儲かると、また行きたくなり、儲からなければ行きたくなくなります。その経験を何度も繰り返しているうちに、あまり行きたくなくなるか、もしくはその雰囲気が好きとか、ストレス解消になるといったところで、落ち着きます。これは普通の「強化学習」と同じです。

実際に、fMRI法を使いギャンブル依存症の被験者について実験を行いました。MRI装置の中のギャンブルゲームをやっているときの脳の活動を調べたのです。普通の人は、学習して、いいことがあると、もっとそれをやりたくなるし、悪いことがあると、やりたくなくなります。一方、ギャンブル依存症の人は普通の人と比べ「勝つと過度にやりたくなり、負けたとしてもあまりやりたくならない」といった特徴があります。

―― 普通の人とギャンブル依存症の人の脳活動の違いはどのようなことでしょうか?

鈴木先生:「強化学習」では脳活動を見ていく上で、「勝つか負けるか」といった「報酬」が重要です。普通の人とギャンブル依存症の人を比較すると、勝ったときの脳活動に違いがあります。ギャンブル依存症の人は普通の人と比べ、ギャンブルに勝つと、脳の「島皮質(とうひしつ)」が活発になります。一方、負けたときには顕著な違いは見られませんでした。「島皮質」とは、人の感情に関係した部位で、食べたものの味や痛みに関する処理など様々な機能に関連する脳領域です。ギャンブル依存症の人は、勝ったときの学習と負けたときの学習がアンバランスなことが問題です。おそらく、勝ったときに普通の人以上に学習してしまい、またやりたいと思ってしまうのが原因ではないかと考えられます。

脳の島皮質

画像:脳の島皮質<鈴木教授提供>

―― ギャンブル依存症の人は勝ったときに「島皮質」が活発になることが分かりました。では鬱の人の脳活動はどうなっているのでしょうか?

鈴木先生:鬱の人は「報酬」を「報酬」として感じられないという説があります。ギャンブルの場合、勝つと嬉しいわけですよね。遊びに行ったり、美味しいレストランに行ったりすると、友達と喋れるし、美味しいご飯も食べれてハッピーだと感じる「報酬」があって、また出かけようという気持ちになります。ところが鬱だと遊びに行っても楽しく思えないのです。その結果、それが学習されて行きたくなくなる、それも「強化学習」で考えられていることです。

人間の脳はAIより効率的に学習できる

―― 昨今ではAIが使われるようになっていますが、AIと人の意思決定を支える情報処理にはどのような違いがあるのでしょうか?

鈴木先生:「深層学習」と呼ばれる現代のAIは、生物の脳機能を参考にして作られました。さきほど説明した強化学習も、元々はパブロフの犬のように、動物に学習させる心理学から出てきたものです。つまり、現代のAIは、心理学と神経科学の成果を元にして作られているのです。ですから、AIと人の意思決定に関する原理は結構似ていると考えています。人間の脳の情報処理のメカニズムを研究することで、将来的には、さらにAIの進歩につながるのではないかと思っています。

AIと人の意思決定を支える情報処理の違いは、人間の方がAIより効率的に学習できることです。現代のAIは賢い意思決定を下すためにビッグデータを学習しています。一方、人はそれほど大量のデータを学習していません。さらに人は、新しい状況であっても意思決定を下せます。そこが全然違いますね。例えば、AlphaGoはかなり対戦を重ねて学習していますが、AIの学習回数に比較すると棋士の学習回数は圧倒的に少ないですね。それでも対戦で勝てるとしたら、学習の効率性に違いがあるのではないかと思っています。

―― 先生は未来の「報酬」を待ち続けるための脳機能を解明されたそうですが、こちらについて詳しく教えてください

鈴木先生:群馬大学情報学部の地村弘二教授ほか5人の研究者と共同研究を行いました。

私たちが行った実験では、34人の被験者に喉が渇いた状態でMRI装置の中に入ってもらい、数十秒間、ジュースが飲めるまで待っていてもらいました。途中で待つことをやめて次に進んでもいいという条件を被験者に対し提示したのです。そこで、ジュースを待っているときの脳活動を観察しました。実験の結果から、人が過去の経験に基づいて「報酬」を待ち続けるかやめるかを連続的に決定する状況において、前頭前野と海馬の「待ち続けることの好ましさ」に関連する活動が、重要な役割を果たしていることが分かりました。

―― 今後の展望について教えていただけますか

鈴木先生:神経経済学は、その名の通り神経科学と経済学の融合分野です。私自身の研究も含め多くの神経経済学では、経済学の知見から計算や情報処理に関する脳のメカニズムについて、明らかにしています。経済学的な意思決定が脳のどのような活動から生み出されるのかも今後解明されていくでしょう。

一方で、神経科学の知見を使って「経済現象がどうなるのか」「どのように経済的な制度設計をしたらいいのか」「マーケティングにどのように活かせるのか」といった、神経科学から経済学の流れについては、まだあまり研究が進んでいません。今後、その流れがブレイクすれば、神経科学が経済学を含めた社会科学に貢献できるような道ができるでしょう。

―― 最後に読者の方に向けてメッセージをお願いできますか?

鈴木先生:金融を含めた経済活動や社会科学で興味深い現象は、全て人の意思決定と複数の人の意思決定の相互作用の結果として出てきます。ですから、意思決定に関する脳のメカニズムを知ることは、すごく興味深いですし、「人間とは何か」「社会とは何か」といった思考につながる可能性があると考えています。そのような研究は、歴史的には現代のAIに搭載されている重要な機械学習やアルゴリズムを生み出しました。今後、脳を理解し、人を理解することで、さらに面白いAIが出てくるかもしれないですね。いてください。その助けとして、学問や先人が多くの知恵を教えてくれるのです。


鈴木 真介先生のご紹介リンク:
ー 一橋大学|教員紹介 – ソーシャル・データサイエンス学部