インタビュー取材にご協力いただいた方
大藪 千穂(おおやぶ ちほ)氏 岐阜大学 副学長/教育学部 家政教育講座 教授
1962年京都市生まれ。京都ノートルダム女子大学文学部を卒業後、大阪市立大学生活科学大学院修士課程を経て博士課程単位取得修了(学術博士)。1994年より岐阜大学教育学部助教授(家政教育講座)を経て現在、岐阜大学教育学部教授(兵庫教育大学大学院 連合学校教育学研究科教授を兼任)。2021年より副学長(多様性・人権・図書館長・基金・広報・ブランディング)。日本消費者教育学会会長。生活経済学会副会長、日本学術会議連携会員、文部科学省消費者教育アドバイザー、消費者教育推進会議第6期会長(消費者庁)、岐阜県金融広報アドバイザー、京都フィナンシャルグループ社外取締役、消費者ネットワーク岐阜(消費者団体)代表。2017年度金融知識普及功績者表彰、日銀・金融庁、生活経済学会 学会賞(2022年)、第8回 女性技術者育成功労賞(2022年)、家政学会 学会賞(2024年)、令和6年消費者教育支援功労賞(内閣府特命担当大臣賞)
専門は、家庭経済学(家計分析、消費者教育)、環境とライフスタイル論(アーミッシュ研究)。主な著書に、「岐阜人の不思議」(岐阜新聞社)、「生活経済学」(放送大学)、「はじめての金融リテラシー」(昭和堂)、「お金と暮らしの生活術」(昭和堂)、「ちほ先生の家計簿診察室」(名古屋リビング新聞社)、「アーミッシュの謎」「アーミッシュの昨日・今日・明日」(論創社、訳書)など。
岐阜大学の大藪千穂教授は、金融経済教育において「知識」だけでなく「非認知能力」が重要な役割を果たすと考えておられます。
小・中・高校での教育現場における取り組みを紹介し、子どもたちが自制心やコミュニケーション能力などの「人間力」を育むことの重要性について詳しくご説明いただきました。また、金融リテラシー向上のために、学校と家庭の連携が不可欠であるとも指摘されています。
子供は「身近な生活」から学ぶことが金融教育
―― 大藪先生は岐阜大学で主に家庭科の教員を目指す学生に家庭経済学、家族関係学、家庭経営学などを指導されていますが、どのような内容なのですか。
大藪先生:学生の就職先は幼稚園から高校まで幅広いですが、小学校・中学校の家庭科の教員免許取得を目指す学生が多いです。私はいわゆるエンゲル係数や消費者物価指数、住宅ローンといった家計分析や、消費者教育を専門としており、講義では、小・中学校家庭科の「家族・家庭生活」、「消費生活・環境」、「家庭科教育」の分野を担当しています。
―― 先生は小学校や中学校、高校でも、金融経済教育を実践されることがあると伺っていますが、どんなことを教えているのですか。
大藪先生:小学校ではオリジナルのクイズつきのお小遣い帳を提供して、ノートや食品といった身近な買い物からの実践を通してお金やモノの大事さだけでなく、家族の一員としてお手伝いをすることも学んでもらう取り組みをしています。また、中学校では悪質商法やインターネット・SNSを通した詐欺被害、クーリングオフといった消費者教育のほか、料理や洗濯をするとどれくらい光熱水道費がかかり、どれほどのCO2排出量が出るのかを換算したりして、家庭生活と環境との関連についても学んでもらいます。
高校になるとさらに複雑になり、成年年齢が18歳に引き下げられ、高校在学中でも保護者の同意なく契約行為ができるようになったことや、大学で奨学金をもらう可能性もあることなどから、貯蓄と負債について教えたり、人生でどれくらいお金がかかるか、シミュレーションする人生設計ゲームを作っています。
―― 家庭科学習における金融経済教育の課題は何でしょうか。
大藪先生:一つは授業時間の少なさが挙げられます。小学校6年間のうち、家庭科でお金のことを学ぶのは一般に5~6時間程度しかありません。中学でおよそ10時間。高校では、2022年から実施された新学習指導要領の解説で「資産形成の視点にも触れる」ことが明記されたことから、株式・債券・投資信託など金融商品についても学ぶようになりました。「高校生に投資を教えるのか」とメディアで話題になりましたが、実際に高校で学ぶのは消費分野全体でも6~9時間程度しかなく、その中で投資について教えるには最大でも1時間弱しか確保できません。そのような環境では、ベースとなる家庭経済や消費生活についての学習が不十分なままになってしまうのではないかと懸念しています。
―― そういった課題がある中で、学校における金融経済教育において大藪先生が重視されるポイントは何ですか。
大藪先生:金融経済教育が本格化し、金融機関の関係者などが外部講師として学校を訪問し、世の中のお金の流れや債券、投資信託、株などの仕組みを教えていると思います。そういった知識の向上はもちろん大事なのですが、「非認知能力」と呼ばれる忍耐力やコミュニケーション力、つまりは「人間力」の醸成にも、目が向けられるべきと思っています。
金融教育における「非認知能力」の重要性
―― 非認知能力が、金融経済リテラシーの向上に結び付くのでしょうか。
大藪先生:幼い頃から培われる非認知能力や自制心が、後々の人生に影響を与えることを示した実験では、米国の「マシュマロテスト」が有名ですよね。幼児期に、目の前の1個のマシュマロを食べるのを少し我慢して、2個目のマシュマロを得られた子供は、成長してからの成績が良かったり、肥満になりにくかったりするなど、中長期的に成功する確率が高いことを示した実験です。実験の評価に対しては諸説ありますが、子どもの頃の教育や、単なる知識ではない非認知能力の向上が人生により良い影響を与えることは、さまざまな研究成果から明らかになっています。
私は岐阜県内の小学校で、オリジナルの「おこづかいちょう」を5,6年生に約1年間継続して記入してもらい、その前後に保護者アンケートを実施し、教育的効果を分析する調査を行いました。お金に関するクイズを毎日解いて正解すればシールを貼ることができるようにしたり、ジュースのビンに色を塗ることで支出を可視化しやすいようにしたりして、楽しく継続できるよう工夫したものです。
出典:生活経済学研究Vol.53(2021.3)「おこづかいちょう」を用いた小学生に対する金融経済教育
この結果、「おこづかいちょう」を記入することによって「生活を設計・管理する能力」や、非認知能力である「自制心」が高くなるという教育効果が見られました。調査では元々、小学生にお小遣いを上げる親御さんは多くなかったのですが、これを機にあげるようになったり、子どもがお金の使い方を自分で考えるようになったりしたという意見が多かったです。キャッシュレスが普及してお金の重みが子どもに見えにくくなっている今、お金やモノの大事さを認識し、計画的に使うことを考えるように促すためには、学校教育だけではなく家庭との連携が重要になります。
―― 先生は、現在注目される金融経済教育や環境教育も、それ自体が目的ではなく、人間発達を促すための手段と指摘されています。
大藪先生:そうですね。環境教育、金銭教育、金融教育などは、環境を良くしたり、景気を良くしたりするためにももちろん大切です。ですが教育の観点からすると、あくまで人間発達を促すための手段と捉えられます。自分が成長し、外の世界と接続するためのツールです。一般に自分の生活と経済、あるいは環境とは分断しがちです。CO2排出量を6%削減しましょう、何万トン削減しましょうと言われても、では日常を送る私たちはどうしたらいいのかと、ピンときにくいのではないでしょうか。
大学生の中には、これまでお金のことは親任せで、自分のスマホ代を認識していない学生も多いです。私は授業の中で、大学4年までの教育費を、習い事や塾なども含めてすべて計算してもらう実習を行っています。一般に、子どもの教育費は公立校や私立校かどうかや、習い事で大きく変わりますが、平均1000~1200万円くらいかかります。そのお金を自分のアルバイトの時給で割ってみると、何年、働かないといけないか。「1000万円」と言われても実感がわきませんが、そうすると、学生たちは親に感謝したり、頑張らないといけないと感じたりするわけです。大学の授業料も勘案するので、講義を休講すると1回いくらですねなんて言われてしまうんですが(笑)、関心を持つことはすごく大事と思っています(もちろん補講はします)。自分の生活が環境や経済にどう影響を与えているか、関心を持つためのきっかけが金融教育や環境教育、消費者教育なんじゃないでしょうか。
―― 大藪先生のアプローチだと、学生が金融経済や環境問題を「自分事化」して、関心を持って自分の生活に役立てようという意欲が湧きそうですね。
大藪先生:知識そのものを与えることよりも、人間発達において重要なのが情報処理能力です。たとえ適切な教育を提供しても、受ける側の情報処理能力が低ければ、教育で得た知識を活用できず、金融トラブルに巻き込まれたりする可能性があります。いかに正確で新しい情報をキャッチして、自分の生活に落とし込めるかが問われます。
私は以前、大学生の情報活動について「収集積極・活用積極」「収集消極・活用積極」「収集消極・活用消極」「収集積極・活用消極」の4グループに分け、金融・経済の知識やリテラシーを問うアンケートや家計簿を使って、情報活動と金融リテラシー、家計行動、人間発達との関係性を調べたことがあります。その結果、情報の「収集・活用」の両方が積極的だと、経済や金融への理解・関心は高く、人間発達が進んでいることが分かりました。とりわけ収集の積極性は、自立した判断能力に結びつくので、制度や環境が刻一刻と変わり、先の読めない現代においてますます重要になってくると考えます。
幼少期からの情報収集・活用能力の育成がカギ
―― 情報収集・活用能力の向上には何が有効でしょうか。
大藪先生:ありきたりですが、昔から言われているように幼少期は特に読書や外遊びは、外部の情報を読解し、自分の中で処理する能力を培うのに効果的だと思います。現在は幼児教育への熱が高まっていますが、知識偏重になってしまわないか心配するところです。
私自身、かなり自由に育てられたこともあって、テストの点数などは悪く、お金に関わる研究をしているのに計算が苦手だったりします。一方、幼少期から母は働いていたので、「自分のことは自分でやる」という教育方針でした。失敗もしましたけれど、そのおかげで色々なことに関心を持ってきました。学生たちにも、なぜ自分がスマホを使えて、ご飯を食べられているのかを考えるところから情報収集・活用を積極的に行ってほしいです。
余談ですが、私は米国で農耕や牧畜による自給自足生活を営むアーミッシュと呼ばれる共同体を、研究対象にしています。そこでは女性は大勢の子どもを産み、私が調査に行った時も3歳くらいの子が赤ん坊の面倒を見ていました。乳飲み子以外の子どもは子ども同士で面倒を見ますし、動物の世話もします。極端な例と思われるかもしれませんが、家族全員がそれぞれに役割を持って助け合う風習は、今の日本の家庭教育において見習うべき点が多いかも知れません。
―― 今、官民が一体となって金融経済教育を推し進めていますが、大藪先生が指摘される非認知能力の醸成や、実生活とつながる消費者教育が広がるには、どうしたらいいと思いますか。
大藪先生:やはり教育がポイントになります。子供たちはもちろん、教員や保護者に対してもです。岐阜大学では初年次セミナーという、入学した学生が学部学科に関わらず受講する授業があるのですが、この中に消費者教育を入れたいとずっと思っていて、最近ようやく実現しました。これは全国でも珍しい取り組みと思います。今年も希望者1000人ほどがオンデマンドで私の授業を受けてくれました。学生の中には生活力や基礎的な家計管理能力がない人も多いので、彼らが一消費者として、あるいは教員や保護者になった時に、役立ててくれたらと思います。
また、学校教育においては、金融経済教育や消費者教育にあたって外部講師を呼んでくるのはいいですが、その際はぜひ、教員が一緒に授業を行うようにしていただきたいです。J-FLEC(金融経済教育推進機構)ができて統一的なガイドラインも作られましたが、実際の授業では、クラスや学校によって内容は一律でなく、レベル感など少しずつカスタマイズしなければ効果は発揮できません。そのための事前のすり合わせが不可欠ですし、教員自身の成長のためにも、外部講師に一任せず、ぜひ一緒に授業をするようにしてみてください。
大藪 千穂先生のご紹介リンク:
ー researchmap:大藪 千穂 (Chiho Oyabu) – マイポータル