金融の海を航海した「日本経済史の舵取り人」|落合 功 氏

青山学院大学 経済学部 教授 落合功先生

インタビュー取材にご協力いただいた方

落合 功(おちあい こう) 青山学院大学 経済学部 教授

中央大学文学部史学科国史学専攻卒業、同大学院文学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。広島修道大学商学部教授を経て、2013年より青山学院大学経済学部教授(講義科目日本経済史)。著書に『国益思想の源流』(同成社)、『入門 日本金融史』(日本経済評論社)、『やさしく 日本金融史』(学文社)『ちょっと深堀り日本金融史』(学文社)など。

命がけで金融経済を舵取りしてきた人々

―― 落合先生は大学で日本経済史を教えておられ、多くの専門書のほか、一般向けに日本金融史の入門書を書かれています。特に今年(2024年)に刊行された「ちょっと深掘り 日本金融史」(学文社)は人物を焦点を当てておられますが、どのような意図で著されたのですか。

落合先生:私は元々、文学部出身で産業史をメインで研究し、塩や醤油、砂糖の生産・流通史といったものを専門としていました。前職の私立大で商学部に勤めていたので金融機関に就職する人も多かったことから、カリキュラムの中で金融経済教育にも力を入れようということになり、金融史に入っていったわけです。そのため、最初から金融を専門にしていたわけではなく、学生に分かりやすく興味を持ってもらえるような内容で話したいと思いました。

歴史の教科書を見ると、たとえば「1927年に金融恐慌」「1930年に金輸出解禁・金本位制復帰」などと説明されていますが、言葉の知識だけでなく背景まで理解している人はどれだけいるでしょうか。昭和の金融恐慌のとき、日本銀行総裁や大蔵大臣だった井上準之助は、さまざまな意見がある中で金解禁やデフレ政策を断行し、結局、世界恐慌のあおりを受けて失敗し、暗殺されてしまいます。高橋是清は金輸出再禁止・金本位制から離脱し、日本は昭和恐慌から復調していきますが、高橋もやはり二・二六事件で命を落とします。

ニュースで報道される円安や株価の急落といった金融の動きは、まるで天から降ってくる自然現象のように感じられる方もいるかもしれませんが、どんな政策にも背景や理由があります。重要なのは、それがたとえ「失政」と評価されたとしても、個々人の功績や責任とすべきではないということです。

近著『ちょっと深掘り 日本金融史』では井上準之助や高橋是清をはじめ、明治維新以降の金融に関わった人々を紹介していますが、お読みいただくと、同時代の人でも目指すところや意見が違うことが分かっていただけると思います。現代の金融政策もそうですが、多くの意見が飛び交う中、やむにやまれぬ社会状況や信念があって、時に命がけで金融という海のかじ取りがなされてきたということを、想像していただきたいです。

貨幣とは信用である

―― 日本金融経済史は、株式会社が設立された明治期以降がメインとなるのでしょうか。

落合先生:「金融」というと、どうすれば株で儲かるか、といったことを中心に考える人もいますが、本来、金融の射程はもっと広く深いものです。私としては、金融とは何かということを、歴史からさかのぼって本質的に考えてほしいと思います。

「ちょっと深掘り 日本金融史」の姉妹版として2020年に刊行した「やさしく日本の金融史」では、日本初の流通貨幣と言われる和同開珎(わどうかいちん・わどうかいほう)など、古代から金融の歴史をひも解いています。たとえば貨幣経済が生まれる前は物々交換が主流だったことは知られていますが、では貨幣がなぜ生まれたかというと、藤原京や平城京を造成する際、モノで給料を渡すのは大変だったことから貨幣が作られたと考えられています。しかし実際には、貨幣よりモノがいいという人が多く、政府は「畜銭叙位令」を発令するなどして流通を促そうとしましたが、なかなか苦労したようです。

この古代のエピソード一つをとっても、貨幣という存在の持つ本質と多面性が分かります。つまり一方では、政府など信頼できる公的機関から信用性を担保されていないといけませんが、他方では交換する対象として人々に理解されている必要があるということです。

さらに、近世になると大阪や江戸、京都など距離のある商圏の間で商品を流通するための為替(手形)が発達します。江戸から大阪に送金する場合、現金を運ぶのは大変なため、両替商が手形を発行して金銭の授受を成立させるシステムです。

金融経済史を俯瞰すると、たいていはお金をどうやってAからBに持っていくか、交換するかという話がポイントになりますが、最後は信用が決め手になります。信用があるからこそ会社に投資するし、貨幣の信用が落ちると円安になったりするし、金利にも影響します。「お金のことをクレジットと呼ぶが、まさに『お金=信用』なんだ」という話を、学生にもよくします。

―― 「お金=信用」というのは古今東西、普遍だと思いますが、インターネット上の取引で使われるビットコインなどの仮想通貨も、その延長戦上にあるのでしょうか。

落合先生:現代は貨幣に対する信用が失われています。大規模な金融緩和によって金が市場にばらまかれ、貨幣の価値が下がってきています。昔は金や銀によって貨幣に兌換性を持たせることで信用を担保していましたが、今はそうはいかない中で、国が定める法定通貨ではなく、自分たちで使い勝手のいい貨幣を作るようになってきたのかなという印象があります。

―― 日本金融史の中で特に画期となった事象にはどのようなものがありますか。

落合先生:そうですね。いろいろとありますが、面白いと思うのは中世です。鎌倉時代と室町時代、日本は自前で貨幣を作っていません。宋銭と呼ばれる中国の銭や朝鮮半島の銭が流通していました。日本史の教科書にはまるで当然のように書かれていますが、考えてみると不思議ですよね。最初は古代国家が和同開珎などを自前で作りましたが、それも次第に摩耗して粗悪になり、作らなくなって、外国の貨幣を使うようになるわけです。

国家として中国の影響が強い朝鮮では、自前の銭を作り続けます。それはなぜかというと、やはり、朝鮮半島にとって中国の銭を使ってしまうと、既に政治的に強い影響力を受けているのに、経済圏まで中国に取り込まれてしまうという危機感があったのではと考えられます。国家としてのアイデンテティ―を保つために、銭を作り続ける必要があったようです。

それに対して日本は、海で隔てられていることもあり、中国の銭を利用しても経済圏が乗っ取られるというほどではなかった。日本からは銅を輸出して、中国からは宋銭が送られてきていたということを教科書で読むと、ああそうなのかと素直に思ってしまいますが、そこに違和感を持ったり、背景を考えたりすることが大事ではないかと思います。

メキシコなどで金や銀が大量に採掘されるようになると、中国は銀を使うようになり、銅の銭をあまり作らなくなります。そうすると日本では戦国時代くらいの話ですが、新しい銭が流通しなくなり、摩耗した銭や、私鋳銭が横行して経済が混乱し、たびたび「撰銭令」を発令するような統制を図ります。悪貨と良貨の混入比率や交換比率をあらかじめ決めておくといった政策ですね。

しかし、日本でも灰吹法などの製錬技術が発達し、佐渡島をはじめとして、世界でも有数の金銀採掘国となったことから、金貨や銀貨が流通し、鉄砲や生糸を輸入して、江戸時代の繁栄が築かれることになります。ある段階になると、金銀の海外流出が問題になるのですが。

―― 宋銭が流通した背景を考え、追いかけていくと、日本史の別の側面が浮き上がってきて興味深いですね。

大切なのは多様な意見や評価を知ること

落合先生:近代以降の日本金融史も、貨幣の信用性と切っても切り離せません。地租改正によって租税制度が成立すると、各地で勃発した反対一揆を抑えるために明治政府は地租を軽減しますが、歳出は膨張し、それを補填するため不換紙幣を増発、紙幣の価値は下落しました。大蔵卿の大隈重信は外債を発行することでこれを処理しようとしますが、これに対して徹底的に反対論を唱えた少数派が松方正義です。

大隈が明治十四年の政変で失脚した後に大蔵卿を拝命した松方は、大隈たちが推進した金融緩和、積極財政、外債発行によって下落した円(紙幣)の信用を取り戻そうとします。日本銀行を設立して、それまで地方の国立銀行に認めていた紙幣発行権を集約し、増税と緊縮財政によって市場に出回る貨幣の量を抑えました。松方の断行したデフレ政策は、不景気や農村の小作化を招き、社会や政界からも批判されます。しかし松方はひるむことなく紙幣整理と正貨準備を進め、1897年に金本位制を確立。国際社会における円の信用を高め、その後の日本経済の発展につなげていくのです。

政治家は市場に出回る貨幣を増やして経済成長を促した方が賞賛を得られやすく、デフレ政策を打ち出すのはなかなかできません。しかし松方は投機よりもまっとうな「正業」、健全な財政こそが経済発展につながるという確固たる信念、ビジョンを持って、痛みを伴う政策を断行したのです。松方のデフレ政策には今でも研究者の間に賛否がありますが、個人的には松方の姿勢には非常に共感します。

―― デフレ政策によって長期的に経済発展につながったとしても、苦痛を被る人々がいるのも事実で、難しい舵取りを迫られるのですね。そう思うと、現在行われている金融政策も、正解なのかどうか分からなくなってきます。

落合先生:経済・金融政策は切り取り方や立場、どれくらいのスパンで見るかによって評価が変わってきます。たとえば第二次安倍政権におけるアベノミクスにしても、金融緩和と財政出動、成長戦略によって株価の上昇や企業業績の回復を実現した一方で、巨額の借金を残しました。今度は日銀がマイナス金利政策を解除し、大規模な金融緩和を変更すれば、これまで円安で恩恵のあった輸出産業は打撃を受けたり、株価に影響が出たりするわけです。

その時々の政策の良し悪しについては、私も考えることはありますが、松方正義がそうだったように、特に痛みを伴う財政健全化政策は、誰かが覚悟を持ってやらなければならない時があります。金融経済教育において大切だと思うのは、政策にも多様な選択肢があり、多様な評価があり得ることを知っておくということです。決して、金融緩和をすれば必ずこうなるとか、どうしたら儲かるかということではなく、金融政策であれば決めるのはその時々の政治家にかかっていて、結果には良い面もあれば悪い面もあります。それを知った上で、自分が政治や金融経済の世界にどう関わっていくかを考えてもらうのが、私にとっての金融経済教育です。

―― 教科書に書いてある事象や、遠い世界の出来事に思われる金融政策も、その裏側に深い背景や多様な考え方があることを知るだけでも、難しい単語の羅列に思えていた金融経済の歴史が、まったく違う人間味のあるものに見えてきますね。本日は貴重なお話をありがとうございました。


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