インタビュー取材にご協力いただいた方
成田 智恵子(なりた ちえこ)氏 京都産業大学 文化学部 京都文化学科・准教授
大学卒業後に京都伝統工芸大学校で蒔絵を学んだのち、京都工芸繊維大学工芸科学研究科先端ファイブロ科学専攻に進学。2020年から現職。専門分野は伝統工芸、技能継承、高分子材料。京都の工芸職人を対象としたインタビュー調査とともに、工芸材料の調査・分析に取り組んでいる。共編著に『京の美の奇想』京都新聞出版センター、2025年他。
京都産業大学で文理融合型の研究を進める成田智恵子准教授は、フィールド調査と材料科学という二つの視点から漆工芸の最前線と生産基盤の現状を探っています。技能継承を阻む「働き方改革」の影響、若手職人を育てるための「ベースの需要」の不足、さらに蒔絵粉の製造業者がわずか二社にとどまる現状を踏まえ、共同研究に取り組んでいます。本インタビューでは、「変わり続けることで受け継がれてきた」伝統工芸の本質を明らかにするとともに、デジタル時代に私たちがものづくりから何を学び、どのように未来を築くべきかをひもときます。
ただの技術じゃない!「人の願いを叶える」伝統工芸の底力
―― 先生が伝統工芸と伝統意匠を研究のテーマに選んだきっかけについて教えてください。
成田先生:もともとは職人になりたいと思っていたんです。当初は伝統工芸とは関係のない大学に在籍していましたが、卒業後、京都の伝統工芸を扱う専門学校に2年間通いました。専門学校ではさまざまな伝統工芸を学ぶことができましたが、漆工芸の加飾技法である蒔絵(まきえ)に最も惹かれ、その技法を学ぶコースを専攻しました。
蒔絵に興味を持ったきっかけは、小学校の社会科の授業で見た蒔絵にあります。当時は名前を覚えていなかったのですが、専門学校のパンフレットを見たときに「あれだ」と直感して、蒔絵を学ぶことを決めました。専門学校で伝統工芸の実技を学んだ経験をきっかけに、大学院(修士・博士)に進学し、伝統工芸の材料研究や職人へのインタビュー調査に取り組みました。
―― 伝統工芸は現代のものと融合させて、様々な工夫を凝らしています
成田先生:伝統工芸は時代に沿って変化しています。京友禅のシャツやバッグなど、現代のニーズに合わせた新しいアプローチで工夫している現状も多くの人に知ってほしいですね。
―― 先生が考える「伝統工芸」の最も重要な本質とは、単なる技術や製品ではなく、どのような点にあるとお考えですか?
成田先生:単なる技術や製品ではなく、「他者の、あるいは自分自身の願いを叶えていく」というところにこそ、本質があると考えています。かつて手仕事が主流だった時代から、現代に至るまで手仕事の魅力に惹かれて伝統工芸に携わる人がいるのは、「欲しい」と願う使い手の気持ちとそれに応える作り手の技能や知見があるからです。
ですから、「誰かが欲しいと願うものを、自らの手で形にしていく」行為そのものが、ものづくりの根幹をなしているのだと思います。
若手職人を育てる鍵は「ベースの需要」と「目利き」の育成戦略
―― 現在、伝統工芸における「人から人への継承」が直面している具体的な最大の課題は何だとお考えですか?
成田先生:人から人へと受け継がれる技能継承が直面している最大の課題の一つに、「働き方改革」の波があります。伝統工芸の技能はマニュアル化が難しく、職人の身体知や長年の経験に深く結びついています。従来の徒弟制度のように、長い修行と時間をかけて技能を習得するあり方が、時間給や残業規制といった現代の労働環境と合わなくなってきています。
たとえば、一定の時間内に工芸品を1個しか作れない新人と、10個作れる師匠が同じ時間給では成り立たず、「育成のための時間」をどう確保するかが課題となっています。若い世代が参入しようとしても、親世代から反対されるケースもあり、社会全体と伝統産業のあいだに大きなギャップが生じています。職人として一人前になるまでの期間は、工芸の種類や人によってそれぞれ異なります。一概に「何年」といった画一的な基準で測ることはできません。
―― 若手職人さんが技能を発揮できる場の減少や、「目利き」の減少といった産業全体の問題について、どのような対策が必要だとお考えですか?
成田先生:かつての職人は、多様な需要を支えに、多くの仕事をこなしながらスキルを身につけてきたと伺っています。しかし、現代では特殊な注文や一点ものの需要が増え、若手が修行を積むための「基礎的な需要」が減少していることが課題となっています。この状況を解消するには、若手が基礎段階の修行を積めるような仕事の需要を確保することが必要です。
「目利き(めきき)」の減少に対しては、「素材に関する知識」を広めることも重要です。完成品だけを見るのではなく、その素材を通して「それはどういうものなのか」「どのように扱うのか」というプロセスを理解することが、目利きを育むきっかけになると考えています。具体的には、「螺鈿(らでん)」技法の一種で、薄貝を針で切る技法など、基礎的な素材や技術に実際に触れてもらう体験活動を、研究の一環として実施しています。
―― 現代の製品やデザインに応用する際、伝統的な意匠を「守り伝える」ことと、「現代に合わせて変化させる」ことのバランスをどのように取るべきだとお考えですか?
成田先生: 伝統的な意匠を守り伝えることと、現代に合わせて変化させることのバランスを考えるうえで、「基礎的なことを学び、しっかり身につける」ことが土台であり、応用だけに偏らないことが大切です。基礎があってこそ、伝統的な継承も、令和の工芸としての新たな創造も可能になります。本質的な技能や知識を深めるためには、やはり体系的な学びが欠かせません。
文理融合が解き明かす伝統の力。漆、高分子材料から迫る蒔絵研究の独自性
―― 先生は美術史や高分子材料といった文理の垣根を超えた研究をされていますが、理系的な視点(材料の特性や化学的分析)を伝統工芸研究に取り込むことの独自性と重要性についてお聞かせください
成田先生:学問とは、それ自体が目的ではなく、視点を増やし、物事にアプローチするための方法論だと考えています。たとえば、美術史の観点から「これはこういう作品だ」と捉えるのも、一つの重要なアプローチです。しかし、一歩踏み込んで「それはどのように作られているのか?」と考えると、実際の作り手へのフィールドワークが必要となり、さらに「そこで使われている材料はどのようなものなのか?」という疑問に行き着きます。
私の場合、漆や蒔絵を学ぶ中で、「この材料(漆)はどのようなものなのか」を考えるには理系的な視点が不可欠だと感じたことが、現在の研究に至るきっかけになりました。
一つの側面だけでなく、多面的に捉えることが重要だと考えています。
―― 漆工芸の加飾技法である蒔絵について教えてください
成田先生:蒔絵は、漆で模様を描いた上に金属粉などを蒔いて定着させる技法ですが、蒔絵用金粉を製造している会社は、現在、日本では東京と金沢の2社しかありません。私は、この金粉を製造する東京の企業と協力しながら研究を進めています。

また、蒔絵粉を日常的に使用している職人の方たちであっても、「蒔絵粉の生産基盤はどうなっているのか」を実際に見る機会はほとんどないのが現状です。材料がなければ職人はものづくりができなくなります。これは、生産基盤の維持という点で非常に重要な課題です。
そうした問題意識から、金粉製造業者の協力を得て、「蒔絵粉の見本」を制作する取り組みを進めています。
![【画像】蒔絵用金粉見本手板(成田准教授提供, [金粉製造元]株式会社浅野商店・[手板制作]下出蒔絵司所)](https://ifrc.or.jp/wp-content/uploads/2025/11/image-1.jpg)
蒔絵粉には形や粒子の大きさによって多様な種類がありますが、金の高騰により、若い職人が多くの種類を試験的に購入することは難しく、選択の参考となる見本がほとんど存在しないのが現状です。そこで、課題解決に向けて、蒔絵の加工前後の見本を試験的に作製し、顕微鏡観察などを通じて特性を分析しています。これらの研究を通じて、蒔絵粉に関する知識を発信し、伝統工芸の生産基盤を支えていきたいと考えています。
![【画像】種々の蒔絵用金粉と蒔絵技法見本手板(成田准教授提供, [手板制作]下出蒔絵司所)](https://ifrc.or.jp/wp-content/uploads/2025/11/image-2.jpg)
―― 昨今は様々な産業でAIが使われています。伝統工芸にもそのような動きはありますか?
成田先生:伝統工芸の分野でもAIやデジタル技術の導入が進み、図案の考案やデジタルアーカイブ化といった取り組みもすでに始まっています。ただ、AIをはじめとするデジタル技術の場合、他分野の例で言いますと、声優の声の模倣や映像制作における俳優や脚本家の仕事減少など、使い方によっては働き方そのものを変えてしまう難しい課題が常に伴います。
一方で、伝統工芸は「実物を自らの手で作る」という方向性を保っています。産業の形が変わっていく中でも、伝統工芸は必ず残ると信じています。なぜなら、AIのように便利なデジタル技術が増えるほど、人は「自分は何をするのか」「何のために働くのか」を問われるようになるからです。
そのとき、「自分の手と感性を使って生きていく」すなわち、ものづくりが人の生き方や自己実現においてますます重要になるでしょう。料理を機械が作れるようになっても、人が料理をやめないのは「自分で作りたい」という思いがあるからです。それと同じように、手の延長として現実のものを生み出す行為が人生を豊かにし、だからこそ伝統工芸はこれからも受け継がれていくと考えています。
伝統工芸の研究が、なぜ一般企業で役立つのか? 学生のキャリア事例に学ぶ
―― ゼミの学生が「工芸と意匠」を学ぶ中で、伝統産業とは異なる分野へ進む場合、その学びをどのように活かすことができると考えていますか?
成田先生:学生が伝統工芸の知識を一般企業で活かした事例の中で、特に印象的だったのが、ランニングを趣味とし「シューズの研究をしたい」と相談に来た男子学生のケースです。
当初はランニングシューズの研究は難しいと伝えましたが、議論を重ねるうちに「はきものの歴史」を掘り下げ、そこからランニングシューズの変遷を追うという研究テーマにたどり着きました。
この学生は、100kmのウルトラマラソンを走るほどの情熱を持ち、「箱根駅伝のランナーが履いているシューズのブランドやモデルがすべて分かる」という特技も持っていました。彼は、伝統工芸の「ものづくり」の精神を軸に、研究で得た知識を生かし、卒業後はスポーツウェアやスポーツ用品を扱う企業に就職しました。デザイナー職ではないものの、ものづくりの背景を理解したうえで仕事に就いたこともあり、学びがしっかりと生かされています。
―― 他の学生はどのような進路を選択しているのでしょうか?
成田先生:学生の中には、銀行や印刷会社など一般企業に就職するケースも少なくありません。それでも、学生たちが大学での学びを「自分のやりたいこと」と結びつけ、知識を深めて人生の糧にしている姿を見るのは、非常に嬉しいことです。
伝統工芸の研究で培った多角的な視点やものづくりへの理解は、一般企業での営業活動などでも、別の角度から社会に貢献できる力になると考えています。
「変わり続ける」伝統工芸 デジタル時代の継承に必要な柔軟性とは?
―― デジタル社会の利点を活かした若い世代の取り組みが、従来の伝統工芸のあり方をどのように「新しいステージ」へと変えていくとお考えですか?
成田先生:かつてはメディアに取り上げられるのを待つしかありませんでしたが、今ではデジタル社会の利点を最大限に活かせる時代になりました。例えば、作り手本人がInstagramなどを通じて自分のアイデアや作品を世界に直接発信できます。自分の「好き」や「挑戦」を表現すれば、それが瞬時に世界中に届き、共感や評価を得られる時代です。伝統技術を用いながらも、表現方法や発信のあり方には無限の可能性があると思います。
―― 日本の文化を未来につなげ、世界に発信していく「発信者」となるために、今、日本の若者は最初の一歩として、何から日本の文化に目を向け、深く知るべきだとお考えですか?
成田先生:日本の伝統工芸は、実際に海外からも非常に高い関心が寄せられています。京都市にある京都伝統産業ミュージアムでは、来場者の多くがインバウンド客で、彼らの中には日本のものづくりに強い興味と敬意を示してくださる方たちもいらっしゃいます。
一方で、たとえば留学中に「自国の文化を説明できない」という経験をする学生がいるように、まずは日本の文化に目を向け、深く知ることからすべてが始まります。国内にも若者が発見し、発信できる魅力がたくさんあります。そうして培った知識と情熱は、キャリアを形作り、将来、日本の伝統の素晴らしさを世界に伝える「発信者」として活躍する力になるでしょう。
―― 最後に読者の方に向けてメッセージをお願いできますか?
成田先生:多くの人は伝統工芸を「変わらないもの」と見なす傾向がありますが、実際にはその歴史は「変わり続けた」からこそ、現代まで脈々と受け継がれてきました。漆や金属などの材料は不変に見えますが、その時代ごとの職人たちは経済や社会の変化に対応するため、常に「当代の工夫」を凝らしてきました。この柔軟な適応こそが、伝統工芸が現在も人々を魅了し続ける力の源になっています。
ですから、まず世間のニュースや固定観念に惑わされず、自分の足で現場を訪れ、実際に職人に会って話を聞いてほしいと思います。多角的な視点を持つことで、伝統工芸を美術・歴史・材料科学・経済など多様な側面から理解し、一つの面だけにとらわれない判断ができるようになるでしょう。
成田 智恵子先生のご紹介リンク:
– 成田 智恵子|京都産業大学 専任教員一覧

