金融リテラシーの向上を目指して「教育改革の新潮流」|栗原 久 氏

東洋大学文学部教授 栗原久先生

インタビュー取材にご協力いただいた方

栗原 久(くりはら ひさし)氏 東洋大学 文学部 教授

筑波大学大学院修士課程教育研究科修了。埼玉県公立高等学校教諭、筑波大学附属高等学校教諭、信州大学准教授を経て、現職。 【主な著作】『授業をもっと面白くする! 中学校公民の雑談ネタ40』(2020年、明治図書)『中学校社会科 定番教材の活用術 公民』(編著・東京法令出版)『入門 社会・地歴・公民科教育』(編著・梓出版社)など。

金融経済教育は消費中心から資産形成の視点へ

―― 栗原先生のこれまでの金融経済教育との関わりや、日本の金融経済教育がどのように行われてきたかについて教えてください。

栗原先生:埼玉県の公立高校や、東京の筑波大附属高等学校で「現代社会」や「政治・経済」の教員を務めた後、長野県の信州大学教育学部で社会科や公民科の教員養成に携わり、現在も東洋大学で教員養成の仕事をしています。

元々、日本でも政治・経済の学習は中学・高校で行われてきました。もっと言えば、小学校の社会科で、商店街のお店やコンビニやスーパーの比較をしてみるといった学習も一環ですね。地理の学習に組み込まれることもありますが、農業や工業についても小学校から教えられているので、経済に関わる学習は昔から、小学校の時点から行われてきました。

中学校では第3学年の社会科公民的分野で政治や経済の学習があります。これは文科省の学習指導要領に位置付けられています。また、かつて「現代社会」だった科目が2022年から「公共」という科目になり、その中でも経済の学習はあります。さらに、社会科系科目だけでなく、家庭科では小学校から高校まで家庭経済の学習も行われています。

このように、従来も経済に関する教育は行われてきたわけですが、小学校・中学校ではおもに消費者の視点を中心に、市場や労働、社会保障の分野まで学び、高校でもマクロ経済の視点から金融政策や国際経済を学ぶものでした。いわゆる資産形成のようなパーソナルファイナンスの学習は、基本的には含まれてこなかったのです。

現行の学習指導要領は、小中学校は2017年、高等学校は2018年に改訂され、高校の「公共」の学習指導要領の「解説」に「資産運用に伴うリスクとリターン」という言葉が入りました。また、高校の家庭科の「家庭基礎」という科目の中にも「資産形成の視点」という言葉が入ったため、金融界やマスコミでは「金融教育義務化」という言われ方をされるようになります。

―― 従来はパーソナルファイナンス、たとえば個人の株の取引きなどの学習は、各校の裁量に委ねられていたのでしょうか。

栗原先生:そうですね。各校の先生方が何を重視するかということに、かなり依拠していたと思います。ただ、たとえば東京証券取引所が中心となって進めてきた株式学習ゲーム(2024年8月から運営主体は金融経済教育推進機構)は、20年ほど前からかなり教育現場に普及していましたし、株式投資の学習を行う学校は増えていました。

今回、学習指導要領の「解説」に「資産運用に伴うリスクとリターン」「資産形成の視点」といった言葉が明確に入ったことで、教科書や学校現場でこれらを取り上げることの根拠、いわば国のお墨付きが得られたことになります。

厳密に言えば、法的拘束力のある学習指導要領の「本編」と違い、「解説」ですから「義務化」ではありません。ただ、本編が非常にシンプルに作られているのに対して、詳細な内容が記載された「解説」は、教科書会社が教科書を作る際に参照します。そのため、「解説」にパーソナルファイナンスが盛り込まれたのは、非常に大きな転換と言えるわけです。

現在では、ほとんどの教科書がパーソナルファイナンスについて、かなりの内容を掲載するようになりました。たとえば預貯金、社債や国債、投資信託、株式投資のリスクとリターンの関係を表した図表などです。これらが中学校の段階から登場するほか、暗号資産やフィンテック、キャッシュレス決済といった言葉も盛り込まれてきています。

金融経済教育における課題と大切なこと

―― 金融経済教育が推進される今、課題は何でしょうか。

栗原先生:まず問題は、当然ながら授業時間は非常に限られているということです。たとえば中学校第3学年の社会科学習は、年間140時間のうち、40時間は歴史の授業にあてられます。これは学習指導要領で決まっているので、基本的にどこの中学でも、1学期は歴史を教えます。残りの2学期、3学期に何を教えるかですが、やはり受験でよく出てくる学習領域に力を入れざるを得ません。何を優先的に教えるかは、個々の先生に委ねられており、法的に義務ではない部分は飛ばしてしまうこともあり得ます。

また、これは金融経済教育の国際比較をして、どの国でも同じような傾向が出てくるのですが、先生方が必ずしも金融商品や投資に関する知識をお持ちではないことが多いです。そのような状況で、たとえば公民の先生が、憲法や人権や国際平和の学習と、金融経済教育のどちらを優先させるか。家庭科の先生にしても、もともと、食物や被服に関心の高い方が多いですから、資産運用の教育にどれだけの比重を置くかは、自身の経験がどれだけあるかによるというのが、現実なわけです。

―― 金融経済教育の研修など、教員のフォロー体制はどのようになっているのですか。

栗原先生:基本的には各都道府県の教育委員会が主催する研修会があるのですが、これも各自治体や教育委員会の担当者の関心の度合いに、かなり左右されがちです。私も時折、地方の学校教育センターで中学・高校の先生を相手に金融経済教育の研修の講師をしておりますが、すべての自治体が同じように関心を持ち、開催しているかというと、そうではありません。

研修では基本的に、教科書の内容に基づいて、「こういう視点で考えてみたらいいのではないか」というように提案しています。私自身、上手な投資のノウハウなどを持ち合わせているわけではありませんから(笑)。社会科の学習というのは、やはり社会の仕組みや関係性を理解することが求められますから、構造や背景を考えていただくように促していますね。

―― 先生によっては金融経済教育に苦手意識を持つ方もいらっしゃると思いますが、どのように教えるのが生徒にとって効果的なのでしょうか。

栗原先生:教え方は先生によってさまざまなですから、一概に言うのは難しいです。ただ、社会科に限らず、授業というのは具体から入って抽象に向かうのが原則です。

たとえば子どもたちの周りには既にNISAとかiDeCoとか情報が飛び交っていて、これは何だろうと思っていたり、既に家庭で話題になっていたりするかもしれない。身近な銀行や郵便局でも行けば、分かりやすく解説したパンフレットもあります。こういうものを取り上げて、なぜこのような仕組みができているのか説明するというのは一つの方法ですね。

それから数年前にニュースでも話題になった「老後資金2000万円問題」やデフレの問題も、切り口にしやすいです。いわゆる「失われた30年」と呼ばれるデフレ期間であれば、預貯金をするのが効果的でしたが、昨今のようにインフレになれば私たちが現在持っている預貯金の価値は将来的に目減りしてしまう。従来の「インフレ」「デフレ」の学習の延長上に、金融経済教育、個人の資産運用という少し広い視野を与えてみると、インフレ・デフレとはそういうことか、と気づく生徒は必ずいるはずです。

―― 学校現場ではなかなか、リスクも伴う投資そのものを促すことはできないと思いますが、生徒の中には、「どうやったら儲かるのか」ということに関心が向く人もいるでしょう。そういった声には教師はどのように向き合うのですか。

栗原先生:ご存じのように、岸田政権が資産運用に関して「貯蓄から投資へ」を強く打ち出し、金融経済教育推進機構が2024年4月に設立されました。しかし、社会科の学習において重要なのは投資を促したり、儲かる方法を教えたりすることではありません。これまで中心だった銀行預金と投資との違いなど、仕組みを理解した上で自分で考える力を育てることです。

たとえば、銀行は必ず元本に利子を付けて預金者に返さなければならないので、ベンチャー企業のようなリスクの高い企業にはなかなか融資できませんよね。「銀行は晴れの日には傘を貸すけれど、雨の日には貸さない」というのはよく言われることですが、それは銀行というビジネス上、損失を出さないために仕方ないことです。

一方、私たち個人は、たとえばAIや抗がん剤を新しく開発する企業に投資することができます。そこから新しい産業や雇用が生まれ、日本経済全体が潤い、うまくいけば投資による収益も還元されます。もし私が数十年前にAmazonに投資していたら、もっとリッチになっていたかもしれない(笑)。しかし宇宙開発に携わる企業に投資して、ロケット打ち上げが失敗したりすれば当然、投資したお金が戻ってこないリスクもある。つまり投資するということは、単に個人が資産運用して儲けるということではなく、リスクのある所にお金を回して、私たちの社会・経済全体を育てていくことだと理解する必要があります。

国際的に高まる金融経済教育の重要性

―― 栗原先生は今、大学で社会科系の教員を目指す学生に指導されていますが、学生たちは金融経済教育に対してどのような姿勢なのですか。

栗原先生:やはり、苦手意識を持つ学生が多いという印象です。これには現行の教員免許制度も影響しています。大学の教職課程を経て社会科系の教員免許状を取得する場合、法律学や政治学、経済学、社会学などの単位を履修するわけですが、経済学は社会学とどちらかを選択することになっているので、経済学を履修しなくても免許を取ることはできますし、経済学を選択した場合でも、経済学部などに比べれば学ぶ範囲は限られています。

それに、社会科は非常に幅広い領域ですが、大学受験をする生徒にとって必要になる科目を考えると、地理歴史系の比重が圧倒的に高くなります。大学にとっても、高校生に対して金融経済の知識はそこまで求めていません。そうなると、教員養成の時点から、金融経済教育について相対的に優先順位が高くならないのは、致し方ない面があります。

―― 金融経済教育に関する教員の知見不足という課題は、どうすれば克服できるのでしょうか。

栗原先生:教員のレベルの底上げというのはなかなか難しい課題ですが、たとえば私も参加している経済教育ネットワークなどの有志団体が、教員を対象とした経済教室やセミナーを開いたりしています。日本証券業協会や全国銀行業協会など業界団体が提供している教材や動画もあります。

また、学校現場でも専門家の力を借りるというのが効果的だと思います。従来も、たとえば法教育なら弁護士会、主権者教育なら選挙管理委員会の人に来てもらって生徒に直接レクチャーしてもらうといったように、専門家とのコラボレーションが行われてきましたが、2017年、2018年の学習指導要領改訂では、このような専門家や関係諸機関との連携もできると明記されたのです。これもいわば「お墨付き」ですから、こういったサポートの仕組みはどんどん活用してほしいですね。

ただ、こういった機会を活用するのは概して、もともと関心の高い方が多くて…。本当は、関心が高くなくて苦手という教員に活用してほしいのに、なかなかそこまで広がっていないという課題があります。

一方で、日本証券業協会が実施した教員向けの実態調査(2022年)では、9割の教員が金融経済教育の必要性を感じているという結果が出ました。先ほどお話したように、相対的に見ると優先順位は下がってしまうのですが、個別で見ると金融経済教育は必要と考える教員が多いわけです。

この重要性は今後、ますます増していくと考えるべきでしょう。先に述べたような政権の方針や学習指導要領の規定、インフレの進行、NISAなど身の回りの金融商品の増加などが要因ですが、これとともに、投資詐欺のような犯罪も増える可能性がありますから、予防策という認識も必要です。

―― 栗原先生は日本証券業協会の「金融経済教育を推進する研究会」において2021年から2023年に海外調査部会の部会長を務められました。海外における金融経済教育は、日本と比べてどのような特徴があるのでしょうか。

栗原先生:先ほども申し上げたように、金融経済教育における教員側の課題や不安は、諸外国も日本と共通しています。世界的な傾向としては、2008年のリーマンショック以降、「このような事態が起こった要因の一つは金融リテラシーの低さにあった」という認識がOECD加盟国を中心に高まり、金融に関する国際ネットワークがつくられ、各国に対して金融経済教育に国家戦略として取り組むように要請しました。

これを受けて、私が部会長を務めた調査で調べた国は日本を含めてすべて、金融経済教育について国家戦略を策定しており、多くが小学校入学前の幼少期から高齢者までという長いスパンで教育を施していこう、という計画をたてています。そうでないと金融リテラシーが低いままで、再びリーマンショックのような事態が起こりかねないという危機感が、国際社会を突き動かしたのです。

それから国際的には今、金融包摂、いわゆるファイナンシャル・インクルージョンという考え方が知られてきています。これは日本ではあまり想像できないかも知れませんが、海外では銀行口座を持っていない人が結構いるのです。たとえば移民です。日本でもコロナ禍で政府から給付金が支給された際、言葉などの壁があって日本の銀行口座を開設できていない人に、どうやって給付するかが問題になりましたよね。これはヨーロッパなど移民が流入する国々を中心として、世界的な課題なのです。

また、発展途上国では貧困層の間で、銀行口座を持たずにスマホ決済による金融取引が広がっていますが、これだとやはり、政府からの支援を行き渡らせにくいという問題があります。こういった背景から、何らかの金融口座を持たせたいという政策的意図もあって、金融経済教育の重要性が世界的に増しているのです。 

―― 金融経済教育が日本だけでなく、世界的に切実な課題であることがよく分かりました。最後に、先生ご自身の金融経済教育に対するお考えを改めて教えてください

栗原先生:もちろん、金融経済教育は積極的に行うべきと考えています。理由はさまざまありますが、一つにはキャッシュレス決済の普及です。今や、お金はスマホやカードの中に入っていて、ピッとかざせば簡単に支払えてしまう。お金の重みや、お金とは何なのかということは、子供たちにとってますます見えにくくなっています。

それからもう一つ重要なのは、お金の問題と生き方、キャリア形成が密接に結びついていることです。当たり前ですが、教育にはお金がかかります。塾や習い事、学費、さまざまな体験などです。ある程度の年齢までは親のお金で叶えられるとしても、今盛んに言われているリスキリングなど、社会人になってからキャリアアップを図るのであれば講座の受講費用などが必要です。下世話な話になって敬遠されがちですが、資産形成は自己実現と切り離せないのです。私は金融経済教育とキャリア教育をもっと結びつけるべきだと考えています。

―― あらゆる意味で、金融経済教育の必要性が高まっていることが分かりました。課題を克服する体制も整いつつあり、教育に携わる方々は積極的に活用していただきたいですね。本日は貴重なお話をありがとうございました。


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